手順の一部と方法全体との一体不可分な関係による
複数主体方法特許権侵害の判断をめぐる問題の解決(三の三)
北京集佳知識産権代理有限公司 パートナー弁理士 王宝筠
六.関連の事例を踏まえての分析
複数主体方法特許権侵害の判断に関する海外の事例で最も有名なものはAkamai事件である。
Akamai事件では、本案を審理した地域法院・裁判官は、まずBMC案で法院が作成して用いた「支配及び指導」基準を参考にした。当該基準では、被疑侵害者が侵害行為の中心となり、かつその他の者を支配または指導しこの侵害行為を実施して初めて、その他の者の行為を被疑侵害者の責めに帰し、さらには当該被疑侵害者が特許権侵害を構成すると判断することができる旨が指摘されている[1]。
「支配及び指導」基準の欠点は、当該基準は異なる民事主体(方法における実施主体ではない)間の関係を切り口として行う分析であるが、方法の実施について言えば、異なる民事主体間にいわゆる「支配及び指導」が本当にあるのかについて不明確な点にある。BMC案およびその他の方法特許権侵害訴訟において、民事主体が他方の主体を本当に支配、指導したのかを判断することは難しい。
本稿では、「支配及び指導」において注目されるのは,異なる民事主体間の関係であるべきではなく、方法特許の技術方案における異なる動作実施主体間の関係であるべきであると考える。特定の実施主体がその実施する動作を通じて他の実施主体によるその動作の実施に「支配及び指導」の働きを果たす場合、本稿における手順の一部と方法全体との一体不可分な関係を構成する。もちろん、ここでのいわゆる「支配及び指導」とは、目的性のある支配・指導であるべきである。この目的性が本発明の発明全体の目的であり、つまり全体の有利な効果である。これにより、支配・指導基準を次のように理解することができる。特定の実施主体の実施する動作がその他の動作を支配、指導して本発明の全体の有利な効果を共同で実現する場合、この実施主体の実施する動作と方法全体とは一体不可分であり、この実施主体の動作の使用については、方法全体の使用を構成する。
よって、本稿では、BMC案において設定された民事主体間の「支配及び指導」基準は、本来行うべきであった方法内部の手順の一部と方法全体との相関性分析からある程度逸脱しており、これにより分析の結論にずれが生じる可能性があると考える。Akamai事件で当初、被疑侵害主体は権利侵害を構成しないとの結論が設定された理由も恐らくここにあると思われる。
当然ながら、「支配及び指導」基準を異なる実施主体間の基準に修正したとしても、それは単に手順の一部と方法全体との間に一体不可分な関係が存在することの具体的な形態にすぎず、必ずしも全部ではない。それを唯一の基準として、すべての複数主体方法特許について侵害判断を行うことはできない。
Akamai事件の最終判決の結論は被疑侵害者が特許権侵害を構成するというものである。その根拠は「決定」説である。「決定」説に基づく判決では次のとおり指摘されている。被疑侵害者が特許方法の手順を実施する具体的な動作または当該動作の利益獲得者を決定したとき、かつ動作を実施する方式またはタイミングを確立したとき、直接侵害と認定することができる。[2]
本稿の考え方を用いると、「決定」説について次のような解説を行うことができる。
決定説に基づくと、被疑侵害主体が特許方法の動作を決定する。これは被疑侵害主体と特許方法との関係である。では被疑侵害主体は何のために決定するのかというと、それは本発明の全体の有利な効果であるはずである。このような全体の有利な効果を達成する目的から、全体の方法を決定し、また、方法における手順の一部に役立つ働きを発揮させる。当該被疑侵害主体による方法全体の「決定」が方法の全体の有利な効果を達成するためであることに基づくと、それが手順の一部に役立つ働きを発揮させることも全体の有利な効果を達成するためであるはずである。これにより、手順の一部と全体の有利な効果つまり方法全体の相関関係を構築することができる。これに加えて、当該被疑侵害主体が「決定」するものは本発明の方法でありほかの方法ではない。よって、被疑侵害主体の手順の一部と方法全体とが一体不可分な論理関係を有すると結論付けることができる。
ここから分かるように、「決定」説は本稿で述べる手順の一部と方法全体との間に一体不可分な関係が存在することの具体的な現れでもある。ただ、決定説において、このような一体不可分な関係は「決定」によって現れる。一方、「決定」説は同様に問題が存在する。議論の焦点は被疑侵害主体と特許方法との「決定」関係であり、このような「人」と「技術」との関係は証明が難しい場合が多い。また、「支配及び指導」基準と同じく、「決定」関係も一体不可分な関係が具体的に現れた形態にすぎず、一体不可分な関係の全部ではない。
支配・指導基準、決定関係のいずれにしても、さらに2つの問題が存在する。第一に、このような基準を提起しただけで、背後の原理を明らかに示しておらず、このような基準をなぜ提起し使用して判断を行うのかについて困惑が生じる。第二に、この2つの基準について、適用できることのみを示し背後の要因を示さない場合、これが人為的に設けられた新たな基準であるとみなされがちである。これは現行法の規定を超えてしまう疑いがあり、法律の厳粛性を確保できない。
七.省察
(一)複数主体方法特許権侵害の判断における誤った認識
本稿の冒頭に戻ると、複数主体方法特許の侵害判断ではいわゆる克服が難しい判断がなぜ生じるのか。
本稿では一方では、権利の技術客体と権利自体との混同によるものであると考える。権利の技術客体(方法)と権利自体(使用)との混同により、「使用」が方法における各手順の運用であるとみなされ、それによって文言侵害原則の適用時に、「使用」に対しても各手順を運用させる「使用」であることが要求される。
他方では、使用を誤って製造行為として捉えられる可能性もある。いわゆる方法の使用とは、その方法を実現する必要があり、「実現」には手順を一つずつ実現し、それにより動的な動作が生じなければならないと一般に思うかもしれない。実際は、このような一つずつの実現は、「使用」の基準ではなく、特定の対象を「製造」する基準である。「方法の使用」については、方法自体が存在することを前提として行う使用である。このとき、動的な方法として、すでに存在している。いわゆる使用とは、それ自体が動的な方法に役立つ働きを発揮させるというだけで、すべての手順を一つずつ実現するということではない。後者は、正確に言えば「方法の製造」の基準である。
いわゆる判断の難しさを生むものとして考えられるもう一つの要因は、文言侵害原則を誤って適用するというものである。これは権利自身を誤って文言侵害原則の分析対象とし、それにより「権利自体」(技術客体の実施)の文言侵害を求めるという形で現れる。実際には、文言侵害原則は権利の技術客体の適用基準であり、方法が特許の保護範囲に属してさえいれば、文言侵害原則を満たし、その後は、その方法全体に使用が存在することを証明するだけで権利侵害の判断を行うことができ、かつ方法の各手順に対して使用することを要求しない。前文で分析したように、これは実は対象全体の使用を各手順の個別使用と混同した使用の集合である。
(二)省察
複数主体方法特許の判断が必要なのはインターネット、人工知能といった新しい技術のみなのか、従来の方法については必要がないのか、いわゆる特別な判断規則は従来の方法に適用できないのかという問題は不公平さをはらんでおり、省察が求められる。
本稿では、従来の技術分野にも複数主体(実施主体)方法特許が存在し、このような方法特許については分野が「従来」のものであるというだけで区別して扱うことはできないと考える。インターネット、人工知能技術分野に適用される上述の判断における考え方も同様に従来の技術分野の複数主体方法特許権侵害の判断に適用可能であり、適用すべきである。このような判断における考え方は特定の分野向けに特別に創設した特別な判断における考え方ではなく、「方法の使用」の本質を踏まえて関連の誤った認識を分析し、明らかにした一般的な考え方である。これはまさに本稿で「方法の使用」について一般的な分析を行う所以でもある。
当然ながら、従来の技術分野において、各手順間の論理的つながりはそれほど緊密ではない可能性があり、手順の一部自体が独立した技術的効果を達成でき、またはその手順の一部がほかの方法でも使用できそれによりほかの技術的効果を達成できる状況が生じる可能性がある。このとき、その手順の一部と方法全体とが一体不可分な関係を有することは証明できない。この状況は従来の技術分野の方法では多数であるとみられ、そのため従来の技術分野で上述の「一部――全体」の判断における考え方が使用される可能性は低い。しかし可能性が低いことからといって使用が存在せず、または使用できないということではない。従来の技術分野の方法の手順の一部が同様に上述の「一体不可分」の要件を満たす場合、同様に上述の判断における考え方を適用して方法の使用による特許権侵害の判断を行うことができる。
(三)素朴な正義感と特許文書の本質
複数主体方法特許権侵害に関する研究や分析はなぜこれほど多く行われているのかというと、背後の理由は恐らく、特定の主体が方法の全部の手順を使用しなくても特許権侵害を構成するというような結論を導き出せるという点にある。ではなぜこのような結論に向かって分析を行うのか。簡単に権利侵害を構成しないと確定してはいけないのか。
実は、これは素朴な正義感が働いている。
素朴な正義感を出発点として、現実では、特定の主体が確かに方法特許を実施している。このような実施は方法特許における手順の一部のみを使用する形で現れるが、当該手順の一部の使用から利益を得ていることは確かであり、これは実際のところ特許権者の権益を侵害している。
素朴な正義感に基づくと、当該主体は特許権者の権益に対して侵害を構成し、本来は特許権の規制を受けるべきである。このような素朴な正義感の後押しの下で初めて、複数主体方法特許権侵害の判断をめぐる問題の研究が盛んに行われている。本稿の分析も素朴な正義感を出発点として行っており、分析の結論は素朴な正義感に合致している。
手順の一部の一体不可分と方法全体の全体の有利な効果とが互いに関連する状況において、当該手順の一部を使用した被疑侵害者がその「使用」により利益を得ることには疑いの余地がない。本稿の考え方によると、当該被疑侵害者は実際に方法全体を使用しており、特許権侵害を構成する。これはまさしく利益志向の素朴な正義感と合致する。
複数主体方法特許権侵害の判断をめぐる問題を研究するもう一つの出発点は、特許の本質にある。特許の本質は法律文書の形式で技術方案の保護を行うことであり、法律文書は表層にすぎず、この表層で技術的本質を制限することはできない。これまでの限界性の認識に基づいた場合、大多数の複数主体方法特許はいずれも特許権侵害の判断における困難に直面するが、このような判断における難しさは法律文書(クレーム)の表現形式によってのみ生じるものである。これは明らかに本末転倒であり、技術を保護するという特許の本質から逸脱している。権利侵害の判断における需要を満たすために、複数主体が相互に作用する技術方案について、いわゆる一方的記載[3]の方式でクレームを記載すれば、本来明確に表現されていた技術方案が極めて難解で分かりにくくなる。これは全くの言葉遊びにすぎない。特許を技術の保護から言葉遊びへと変えるのは間違いである。これは本稿で複数主体方法特許権侵害の判断をめぐる問題を研究する原動力にもなっている。
よって、本稿では、複数の実施主体が相互に作用する方法について、特許文書で明確に複数主体の相互作用をクレームに限定することが可能であり、方法の使用に対する正しい理解に基づけば、このような複数主体方法特許を用いて、使用者による当該方法特許の手順の一部の使用が同様に特許権侵害を構成することを判断することができると考える。
おわりに
圧倒的大多数の複数主体方法特許は基本的にいずれも現行法の規定により、方法における手順の一部と方法全体との間に一体不可分な関係が存在するか否かによって、その権利侵害の判断をめぐる問題を解決することができる。これは関連の誤った理解の払拭と、「方法の使用」の本質的な意味に対する正確な把握によって成り立つ。ひいては、特定の被疑侵害主体が方法全体における各手順に対して使用を行うことは、「方法の使用」における特別な状況であり、通常の状況では、特定の主体が方法全体の手順の一部に対して使用を行うということもできる。やはり使用対象の一部ではなく全部に対して使用を行うため、可能性から言って、前者は後者よりも稀である。上述の「通常の状況」については当然ながら現行法の規定を超える規則を創設して権利侵害の判断を行う必要はなく、比較的特別な間接侵害を用いて解決すべきでもない。現行の法律規定に立脚し、法律に定める本質的な意味を深く掘り下げ、誤解を解消することは完全に可能であり、そうすれば複数主体方法特許の使用に関する権利侵害の判断を十分に実現することができる。
注釈
[1]陳明涛:「クラウドコンピューティング技術条件下における特許権侵害責任分析」、『知的財産権』、2017年第3期p.52
[2]管育鷹「ソフトウエア関連方法特許複数主体による権利侵害の個別実施に係る責任分析」、『知的財産権』、2020年第3期p.15~16
[3]相互的な方法特許は実施主体のみによって当該方法の全体方案を記載することもできる(すなわち、一方的記載)。
手順の一部と方法全体との一体不可分な関係による 複数主体方法特許権侵害の判断をめぐる問題の解決(三の一)
手順の一部と方法全体との一体不可分な関係による 複数主体方法特許権侵害の判断をめぐる問題の解決(三の二)
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